どうしてお休みはいつもあっという間に終わってしまうんでしょう。
という定型文が携帯に入っていても誰も驚かないと思う今日この頃。
そんなわけで、実家帰って、田舎帰って、こっち帰ってきて、会社行って働いて、またお休み前日になりました!
書きながら思ったけど帰るところだらけだな。会社は行くところ!
いつものことながら、明らかにお腹まわりがぷよぷよしている。
今回は友人と出雲大社に寄ってから帰ろうと、夜行バスで一路出雲へ。
(父親は、まさかいい年した社会人が夜行バスで宿代を浮かして旅をするとは思ってもいなかったらしく、
どこの宿に泊まったんだ? と訊いてきた後絶句していました。
お休みの時間は限られているのです父よ。
タイムイズマネーという言葉がありますね。
つまり私と友人は、近年とみに減退しつつある体力と引き替えにタイムを買ったわけです、タイムを!
決してマネーがなかったとか、つまりまあそういうわけなんですけど)
お天気はちょうど良い曇り空で、朝早い時間に出雲大社前のバス停に降り立つと、
ちょうどお店が建てられている最中で新しい木の香りがぶわっと薫ってきました。
人も少なく、鳥居の前で一礼をしてから入っていくランニング中のおじさんや、
お散歩に来られたらしいおばあさんの姿を見て、おお、とぎこちなく一礼してから敷地に入りました。
やっぱり緑が多いせいか(朝のせいもあってか)空気が気持ちよくて、
大社への道をふらふらと歩いているだけでも既に満足。
大国主命の国造り神話の一場面が巨大な像となっていて、説明の石碑に
「さきみたま くしみたま まもりたまえ さきはえたまえ」
の祝詞が。
子ども頃に読んで不思議と残っているフレーズがあると思うんですが、これも、意味も分からず覚えていたなぁと思いました。普段は欠片も思い出さないのに、言葉の並びを見た瞬間にすごく覚えのある、馴染んだ響きだと思い出す。
でも、子どもの頃はこういうものはすべて「音」とし、それこそ呪文のように覚えているので、
ある日その音の意味を知った時の衝撃たるやなかなか凄まじいものがあるよね、と友人と話しつつ、やっとお社へ。
参拝を終え、大注連縄からぴろりと一本垂れている稲が気になる気になる引っこ抜きたい! という欲望をかろうじて抑え、同じ敷地内にある宝物殿へ。
入館料まさかの150円!
京都なんかもそうですが、こう、国宝級のものとかを惜しげもなく見せて下さる感じが堪りません。
そして扉を開けた最初に目に入ってくるのが「村正」という驚き。
素人の私でも名を知っている「村正」!
そこの受付に座っている方が説明の係も兼ねていらっしゃって、
ここの太刀は上からも下からも見られるようにしてあるので、三次元で刀の世界をお楽しみ下さい、と猛プッシュ。
もちろん見るさ。見るとも!
分からないなりに、刃物の美しさというのは怖いものだと思います。
刃紋や、反り、刃の薄さ。
匕首も展示されていたのですが、見た途端、胸の辺りが痛くなるような気がして、押さえながら歩いた。
黙ってたのに友達が、
「肋骨の間にさらりと入りそうだよね」
とか言うので、あいたたたた。
本当にそれっくらい刃が薄かった。切るためのものなんだと改めて。
展示品には時代も載っていますが、勾玉の説明書きのところに「弥生時代」と書かれているのを見ると、
やっぱり溜息。
この前ツタンカーメン展を観に行った時にも、途中から展示品のあまりの「綺麗さ」に、これが本当に紀元前に作られた物? と薄気味悪いような怖いような気持ちになったのですが、
あれと同じ気持ちになった。
だって、その勾玉、今そこで作ったんだよ、と言われても信じてしまう綺麗さ。
この色と形で今の時代に残っているって本当に凄いことだ。
他にも、「あ、私この人知ってる。教科書に載ってたよ!」みたいな方々の名が惜しげもなく展示品説明書きにあって、さすが、さすが出雲大社……と何度か呟くことになりました。
後醍醐天皇が出雲大社に対して王道再興の祈念を命じた文書なんかは、
それが1333年に書かれたものだと知ると、1334年が建武の新政だったと思い出して、
この人めっちゃやる気だったんだなぁと思ったし、
豊臣秀吉が佩刀していた刀が淀君と息子の頼家によって奉納されているのが1609年となっているのを見ると、
江戸時代が始まって、この人達どんな気持ちでいたんだろうなと考えたり、
歴史がリンクしていることを身近に感じられて面白かったです。
1334年建武の新政が口から飛び出したことに対しては、友人が気持ち悪い、と褒めてくれました。
語呂合わせ、なかなか侮れない。
いざ見よ(1334)建武の新政! て覚えたのが出てきただけなんだ。
そういうことありますよね。
これだけ語ったところでふと調べてみたら、全部載っていた。あるある。よくある。
出雲大社のご案内→ http://www.izumooyashiro.or.jp/guide.html
境内を一周して、お隣にある古代出雲歴史博物館へ。
平安時代の出雲大社の本殿模型を見てみたかったんです。
あれ、テレビでも何度か見ましたが、想像するだに神々しくて美しい建物だったんだろうなと思うんですよ。
実際に模型を見ても思ったんですが、あの長い階段を一歩一歩登って行き、
それに伴い視界が地上から空へと移り、最後に本殿に辿り着き地上を見下ろせば、
そこはもうまぎれもなく神様に近い場所だったのではないかと。
下から見上げる方にしたって、まさに雲の上の人、ですよ。
シンプルで、それ故に美しい建物だったんだろうなとぼうっとした頭で見学しました。
実寸大模型はいつできますか。
他にも、展示がなかなかにアグレッシブで、壁一面の銅剣やらこれでもかと並べられた銅鐸やらは圧巻でした。
あまりのことに吹いたけど。
時間が限られていたので駆け足で見て回りましたが、面白い場所。
そして今ここでは神話博しまねというイベントもやっていて、なんと言うか、予想外の歓迎を受けました。
現地スタッフの至れり尽くせり感が半端ない感じです。
あれ、ふらっと寄っただけなのにこの歓迎っぷり。いいの? いいの?
これが目当てで来たわけじゃなくてすみません、という気持ちに早々になる。
私はそこに行くまで知らなかったんですが、
しまねっこというご当地ゆるキャラがおられまして、
最初は「ああ、ゆるキャラね。はいはい」みたいな気持ちでいたのに、
会場をまわる内に次第に洗脳。最終的に「しまねっこかわいい!」の域に達し、土産物屋に。
家に帰ってから改めてよく見てみたら、あのキャラ、よくできてる。
頭のお社もそうなんだけど、首の注連縄は会場では気付かなかった。
そしてここでも、仕事を選ばず日本一働き者だと思われるきてぃさんが既にしまねっことコラボ。
はえええ! キティさんのワーカホリックぷりにおののく一瞬。
あれ、しまねっこの話しかしてないな。
会場がお祭りみたいに屋台が出ていて、その雰囲気に浮かれて、
うっかりご当地ぶどうのソフトクリームとかを食べていました。
神話映像館で映像と人のアクションを融合させた八岐大蛇退治を見たり、
石見神楽を見たりしていたらあっという間に帰る時間。
濃い一日だったわ……と思いつつ、バスで一路実家へ。
夏期休暇の幕開けであった(神話風)
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