帰り道にふらふらと立ち寄ったお店に絵本と児童書がずらりと並べられていて、
店内に人がいなかったのをいいことにじっくりと眺めてまわってしまった。
懐かしい本がいっぱい置いてあった!
「小さなスプーンおばさん」とか「長靴下のピッピ」とか、「やかまし村の子どもたち」とか。
「橋の下のこどもたち」という一冊を手に取り、思わずがっつり読み耽ってしまいました。
橋の下、という響きだけで心惹かれるものがあります。
ずらーっと並んでる本の背表紙眺めながら、思わず手が伸びてしまうほどには。
「どろぼうの神様」という本のタイトルもすごく好きです。全然関係ないけど。
児童書って、こんなにひらがな多かったっけなーと思いつつ、
戸惑ったのは最初だけで目が慣れるとぐんぐん読んでしまいますね。
アルマンじいさんはノートルダム大聖堂近くの橋の下をねぐらにしている。
ある時いつものねぐらに戻ると、そこには三人のこどもたちと一匹の犬が……。
心を盗まれてしまったら大変だ、と何度もアルマンじいさんがジャケットの前をぎゅっと合わせる描写が愛しい。
このムクドリども、と子どもたちのことを呼んでしまうあたりでもう駄目なんですけど。
だって、ムクドリってちっちゃくってつぶらな瞳でむくむくしてるってことでしょ?
あんな目でわしを見上げおってムクドリどもめ。心を盗まれたらおしまいだって何度も思う癖に、
結局そのムクドリどもが心配で様子を見に戻ってしまう。
なんとも心のほんわかするお話でした。
ジプシー一族が登場するんですが、そこの女の子が、アルマンじいさんが連れてきた三人の子どもたちに言うことが印象的。
「あんたの服の色はとっても地味ね。でも髪の色は明るくて素敵」
たしかこんな感じのことを。
読んでいる内に不意に長靴下のピッピで、アンニカがトニーに言っていた(はず)セリフを思い出した。
「ねえ、私たちピッピが来るまでどんな遊びをしていたのかしら!」
ピッピの自由奔放な言動が繰り広げる毎日と、
なんとなくこのお話に出てくるジプシーの子どもたちの言動が重なったのかな。
家族なんて持っていないし、まともな仕事なんてとうの昔に捨ててしまって、俺はひとりで気ままに生きるんだと
思っていたアルマンじいさんと、小さなムクドリたちの交流。
そして心をすっかり盗まれてしまったアルマンじいさんが最後に行き着いたのは…という、
読み終わった後にふわっと笑顔になれるお話でした。
思いがけず楽しかったな。
珈琲も美味しかった。
コメント
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いいですね。
どろぼうの神様、長靴下のピッピは、小学生のときのめりこんで読みました。
橋の下のこどもたち、読んでみたいです。アルマンじいさんみたいな素直じゃない人が大好きです*^^*
児童書は、読む前に「この本はどんな素敵なお話なんだろう」とワクワクていたことが今でも忘れられません。
全体的にやさしい話ばかりだからかもしれないですね。
wonder wonderfulは、児童書をあまり読まなくなったころに、久しぶりに見た、「読む前からワクワクする本」でした。
この記事を読んで、そのことを思い出し、コメントを書いた次第です。
幸せな気持ちになれました。ありがとうございました^^
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チロル様>長靴下のピッピ、私も小学生の頃に貪り読んでいました。昔読んだ本って何故か忘れられないですね。「どろぼうの神様」は大人になってから手に取りました。
アルマンじいさん、とっても可愛かったです。
子どもの頃の、本を前にしてわくわくしていた気持ちというのは、やはり今よりももっともっと大きかったような気がしています。美化されているのかな。でも、期待だとか、ほんの向こうに広がる世界と現実との境界が曖昧で、だからこそ簡単に「あちら側」に行ける楽しさを全身で感じられていたような気がします。チロルさんのお言葉にふとそんなことを思い出しました。ちょっとかつての自分が羨ましい気がします。
wonder wonderfulがそんな風にワクワクするものであれたなら、幸せです。こちらこそ、ありがとうございます(*´▽`*)