【公式】ミュージカル『ビリー・エリオット』
待ちに待った舞台でした。
初めて観たのは2017年の大阪公演。
不況にあえぐ炭鉱の町で、父と兄、祖母と暮らすビリーは、ある日バレエに出会い、踊ることで自由を知る。
ビリーの才能を見出したバレエ教室の教師は、ロイヤルバレエスクール受験のための稽古を無料でつけてやる。
炭鉱夫の息子として強く育ってほしいと願い、一度はビリーをバレエから無理やり引き離した父親だったが、ある日ビリーの踊る姿を見て、息子に新しい世界と輝く未来を与えてやりたいと願うようになる。
未来の見えない炭鉱の町で、ビリーの夢は町の皆の夢になる。
初めてこの舞台を見終わった7年前、高揚で体中に電気が走るようにばちばちとした気持ちになって、
上演後の館内に台風で電車が止まるかもしれないと早めの帰宅を促すアナウンスが流れ、表に出れば強い風とぱらつく雨が体吹きつける中を、走りたくなる気持ちを抑えながら早歩きで前のめりに帰宅したことを、今でもまざまざと覚えています。
そのくらい強い熱を感じる舞台で、再演を本当に本当に楽しみに待っていました。
反面、時間が経ち、記憶が自分の中で何重にも美化されているのではないかと、ちょっとした不安もありつつ挑んだのですが。
いやほんと、今回も体中ばちばちに電気が走りまくって、感情のジェットコースターで終焉後はくったくたになりました。
強い衝撃に頭がぼぅっとして、興奮と静けさが交互にやって来ながら、脳裏では今見た舞台の様々な場面が高速でぐるぐると巡っているという脳内カオス。しんどい。気持ちと情緒がしんどい。
泣きすぎて顔もぼろぼろ。でも心は清々しさに満ちている。とにかくカオス。
炭鉱の町を覆う、大人たちの不穏で、未来の見えない不安な空気と、その中で生きるビリーたち子供らの無邪気だったり、ふと大人びていたりする日々が絶妙なバランスで表現されていく様が見事。
そのごく小さな、陰鬱な世界でバレエに出会ったビリーが、踊っている間だけは僕は自由になれると光を抱く様に震えが走る。
男なのにバレエになんかのめりこんでいいのかなと悩むビリーに、女装趣味のある親友マイケルが「なりたいじぶんになればいい。ありのままの自分でなにが悪いの」とふたりでワンピースを着て踊りまくる場面。
ロイヤルバレエスクールの地方オーディションがある当日に父親にバレエを続けていることがばれて、すべてが台無しになってしまった時、ビリーが小さな体の内を荒れ狂う嵐のような怒りを全身で表す場面。
ついにロイヤルバレエスクールのオーディション会場で、「踊っている間僕は自由になるんだ」と自らの内からほとばしる気持ちを表現する場面。
喜怒哀楽がすべて、怒涛のダンスシーンと共にぶつけられてくる。
波です。ダンスの波。
タップダンスの軽やかな音が奏でる楽しさや喜びが、次の場面では激しい怒りの表現になり、言葉にならない悲しみや憤りが地に叩きつけられて、ダイレクトに見ている私たちを打つ。
(この舞台を見るとタップダンスやりたいと問答無用で思うんですけど、冷静に考えて自分の足があんなに高速で動くとは思えない)
ダンスシーンはどれもこれも好きなんですが、あと特に、ビリーのおばあちゃんが自分の亡き夫との思い出を回想する場面も大好きです。
ビリーに語り聞かせる現在と、思い出の過去が舞台上で幻想的に交わる演出がすごくお洒落で、かっこいい。
冷静に歌詞を聞いたら、稼いだ金をろくに家庭に入れず酒に全投入して、暴力を振るようなとんでも旦那なんですけど、ダンスをしている時だけは素敵で、ビリーのおばあちゃんが夢を見ることができた時間だったとうっとりと言うのが、本当に伝わってくるんですよね。
朝になれば素面、と歌う彼女の夢の終わりをよくよく自覚している声が切ないんだけど。
舞台の端から端までを、おばあちゃんの思い出の炭鉱夫の彼らが通り過ぎていく演出がとても好き。
消えゆく未来を誰もが知っている炭鉱の町に決して明るい光は射さず、現状に抗おうと必死に戦う大人たちも、そのことを知っている。
バレエ教室の先生や、ビリーの父や兄、炭鉱の町の大人たちが、ビリーにこの町を出て未来を掴めと手を差し伸べるその胸中を想うと、ぐっと来ます。
ここのことは忘れて、二度と戻って来るんじゃないよ、あんたは学校で私がどれほど二流のバレエコーチだったかを知ることになるよ、と告げるビリーの先生は痺れるほど素敵。
豊かな才能を開花させていくビリーの成長をわくわくして追いながら、
日々自分たちの生活で汲々としている大人たちが、子供の夢を叶えてやろうと必死にあがく様もまた私がこの舞台を好きな理由です。
ビリーを送り出した彼らは、また炭鉱に降りていく。
踊っている間ぼくは自由、と舞うビリーのように、
この舞台を見ている間、私も自由で、光を抱いて会場を後にすることができる。
そんな舞台でした。
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